東京地方裁判所 平成元年(ワ)10877号 判決 1991年3月19日
原告
甲野一郎
被告
国
右代表者法務大臣
佐藤恵
右指定代理人
武田みどり
外四名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
[請求の趣旨]
一 被告は原告に対し金六〇〇万円を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
[請求の趣旨に対する答弁]
主文同旨
第二 当事者の主張
[請求原因]
一 原告は、昭和六一年三月六日から府中刑務所に収容されていたところ、昭和六三年五月二〇日、国を被告とする損害賠償請求訴訟(東京地方裁判所昭和六二年(ワ)第七四六五号)について請求棄却の判決を受けたため、東京高等裁判所に控訴するとともに、訴訟救助の申立をしたが、右申立は同年七月一一日付で却下された。そこで原告は同年七月一五日、府中刑務所長西尾融に対し即時抗告状の認書の申し出をした。そして同日、原告は同年六月分の作業賞与金が二七一〇円であるとの告知を受けた。
二 原告は同年七月一六日、即時抗告状、告訴状等の作成、提出のため必要な罫紙一冊、黒ボールペン一本、片面カーボン紙二枚、六〇円切手一〇枚、五〇円切手五枚、一〇円切手七枚について作業賞与金による特別購入を願い出たところ、同刑務所西部区長保安課長補佐松下安廣は右同日、原告に対し作業賞与金の使用による右特別購入は認めない旨告知した。
三 そのため、原告は用紙がなく右書面を作成することができなかった。このように、西尾所長及び松下は故なく原告の権利を妨害した。
四 原告は右同日午後五時ころ、即時抗告の期限が七月二一日であるから即時抗告状の発信を受付けてもらいたいと願い出たところ、松下は、今日は土曜日だ、月曜日でないと認めない、と言ってこれを拒否した。そこで、原告は同月一八日午前八時に即時抗告状の発信を出願した。ところが、松下は同月一九日原告を西部管区に呼び出し、即時抗告状に水戸拘置支所長宛の伝言申立が付いていることについて、何のために出すのか、抗告に何が関係あるのか、願箋で何故提出するのか説明を書け、そうしないと出さないぞなどと言って脅迫した。
その結果、即時抗告状は右期限までに東京高等裁判所に届かず、そのため即時抗告は却下となった。
このように、西尾所長及び松下は、原告にその義務がないにもかかわらず説明をすることを強要し、裁判を受ける権利を奪った。
五 原告には、動物性の肉や油を食べると体の一部に赤い小さな吹出物が出るという症状があり、平成元年七月一日から三日にかけて肉やラードを用いた副菜が続いたため吹出物ができ、強い痒みを生じた。原告は同年七月三日医務室で診察を受けたところ、担当の医務職員は、じんましんであると言い、薬を出して上げるなどと言って誠意ある対応をしてくれた。ところが、府中刑務所医務課責任者若林近生は、同年七月五日午後二時ころ原告を医務室に呼び出し、一時間待たせたうえ、原告の吹出物を見て、これはじんましんではないと言った。
七月三日に診察した医師がじんましんであると言ってそれなりの治療をしているのに、若林は殊更に原告を呼び出してそうではないと言い、しかも受刑者だからといって、呼び出しておいて一時間も放置するというのは、権力をもってするいやがらせである。
六 以上は、いずれも国家公務員という名の下に、原告が受刑者であるためその地位を権力と地位と感情とで妨害、威嚇して奪い、義務なきことを脅迫強要したものであり、違法である。したがって、被告は国家賠償法一条により原告の被った損害を賠償すべきである。
七 原告は右の各行為により精神的苦痛を被り、六〇〇万円相当の損害を被った。
八 よって、原告は被告に対し損害賠償として六〇〇万円の支払を求める。
[請求原因に対する答弁]
一 請求原因一は認める。
二 同二は認める。
三 同三は否認する。
四 同四のうち、原告が昭和六三年七月一六日夕刻及び同月一八日、即時抗告状の発信を出願したこと、松下が原告を西部区事務所に呼び出したこと(ただし、それは七月一八日である。)、水戸拘置支所長宛の伝言申立の宛先について説明を求めたこと、即時抗告が却下になったことは認めるが、その余は否認する。
五 同五のうち、平成元年七月五日府中刑務所医務部長若林近生が原告の診察を実施し、原告にじんましんが出ていないと告知したこと、原告を医務部診察室前で待たせたことは認めるが、一時間待たせたとの点は否認する。受刑者だからといって呼び出し一時間も放置されたのは権力をもってのいやがらせであるとの点は争う。その余の事実関係は不知。
六 同六は争う。
七 同七は争う。
[被告の主張]
一 作業賞与金による特別購入の許可について
1 府中刑務所においては、原告主張のように、昭和六三年七月一五日原告に対し同年六月分の作業賞与金計算高が二七一〇円である旨通知したが、翌一六日原告が作業賞与金による罫紙等の特別購入を願い出たため、原告の作業賞与金計算高基帳(以下「基帳」という。)を調査したところ、六月分の計算高が原告の基帳に未記載であったため、その残高は二七円しかなく、また原告の領置金の残高は四六円であった。
ところで、同所では、受刑者に対する前月分の作業賞与金計算高の告知は翌月一五日までに行っているが、その使用については、事務処理上の過誤を防止するため、原則として本人の基帳に前月分の計算高が記載された後に認めることにしている。しかし、特に必要が認められる場合には例外的に使用を許可する取扱いとしているところ、原告は、既に同月一五日訴状と題する書面及び本件申立に係る即時抗告状の作成を出願して許可を受け、その作業を開始しており(両書面とも同月一八日には認書を終了し、発送の出願をしている。)、また、特別購入の願い出のあった個々の物品について原告の所持状況を調査したところ、当時原告は訴状の作成等を行えるだけの罫紙、郵券等を所持していて、当該特別購入願い出物品を購入しなくても訴状の作成等には何ら差支えがない状況であったため、直ちに購入を許可しなければならない必要性は認められなかった。
そこで、同月一六日午後零時三〇分ころ原告に対し、前月分の計算高が二七一〇円であることについては告知したが未だ基帳に繰り込まれていないため賞与金残高は二七円であり購入不能である旨告知し、更に原告に対し賞与金をすぐに使用しなければならない理由があれば「作業賞与金使用許可願」の願箋を提出して疏明するように指示したところ、原告は「わかりました。」と返答したものの、その後作業賞与金使用許可の出願はなかった。
2 作業賞与金とは、監獄法二七条に基づき作業に就く受刑者に給与するものであるが、作業奨励という政策的見地から恩恵的に給与しているものであり、その額の決定に当たっては、受刑者の行状、作業の成績等を斟酌することとされており、在監中は計算高として記録されるにすぎず、監獄法施行規則七五条において、原則として釈放の際に給与し出所後の厚生資金に充てさせるべきものとされている。
また、作業賞与金は、監獄法施行規則七六条により、在監中であっても給することができるとされ、その使用範囲については、行刑累進処遇令四一条ないし四五条及び五〇条によって、累進級第四級の者は作業賞与金月額計算高の五分の一、同第三級は同四分の一、同第二級は同三分の一、同第一級は同二分の一以下とされており、これを超える使用の許否については施設長の裁量に委ねられている。
したがって、原告の場合、同月一六日、原告は累進級第三級であったので、同月告知分の二七一〇円の四分の一である六七七円について使用が考えられたが、実際には前記のように事務手続が終了するまでは使用できない状態であった。
すなわち、監獄法施行規則七四条によれば、就業者には毎月一五日までに前月分の作業賞与金計算高を告知することとされており、昭和六三年七月一五日の告知はこれに基づいて行ったものであるが、この告知は、前月分の作業賞与金計算高を知らせることによって就業に対する意欲の向上と所内使用額の目安を与えるものであり、告知後直ちに使用を許可するか否かとは直接結び付くものではない。
原告に対しては前記のように当該物品の購入に緊急性を有するならばその旨を疏明するように教示したにもかかわらず、原告自身がこの疏明をしなかったことにより事実上購入することができなかったのであり、本件取扱いには何らの違法、不当もない。
二 即時抗告状の発信について
1 昭和六三年七月一八日(月曜日)午前九時ころ、原告から即時抗告状の発信の出願があったので、九時一五分ころ西部区長が検閲したところ、当該抗告状に水戸拘置支所長宛の「伝言申立」と題する書面が同封されていることが現認された。ところが、当該書面については抗告状に同封する旨の出願がなく、また、即時抗告状の発信願いの願箋と共に「当然、水戸に発信されて初めて証拠となるものであるから、発信を前提として申し立てる。」という趣旨の「発信について」と題する願箋が提出されていたことから、当該書面は誤って同封して発信を願い出たものと考えられたため、西部区長松下が当該書面の宛先について原告の意思を確認するため、原告に「どうして水戸拘置支所長宛の書面を同封するのか。間違いではないのか。」と問いただしたところ、原告は「願箋に書きます。」などと言って直ちに当該書面の発送先について明確な意思表示がなかったため、願箋の提出を待つこととし、同日中の発信を一時保留した。
しかし、翌一九日朝に至っても原告の申し出がなく、当該書面は即時抗告状であり期日の切迫が予想されたため、松下において同日午前八時二〇分ころ、原告に対し再度当該書面の宛先について問いただしたところ、原告から「証文としてその事実立証のためである。」旨の「証拠文書提出について」と題する願箋の提出があったことから、当該書面は抗告状に同封発信するものであることが確認できたので、同日午前零時三〇分ころ抗告状と当該書面を同封して同所表門前のポストに投函した。
その後同月二七日、東京高等裁判所から原告宛に、当該抗告は「期間経過後(同月二一日)に申し立てた不適法なものである。」との理由による却下決定書が送達された。
2 右のように、昭和六三年七月一八日原告から発信の出願のあった即時抗告状に水戸拘置支所長宛の「伝言申立」なる文書が同封されていたため、当該書面の宛先を確認したところ、原告が翌一九日までその意思を示さなかったために、発送が翌一九日になったものであるが、監獄法五〇条、同法施行規則一三〇条によれば在監者の発信する信書はすべて検閲の対象となるのであり、検閲によって在監者の発信物に疑義が生じた場合にはその説明を求めることは検閲業務の一環として認められるものであるから、本件書面について確認を求めたことに何ら違法、不当はない。
なお、原告が一九日まで当該書面の宛先についての意思を示さなかったのは、抗告期間が七月二一日までと原告が誤信していたためであって、抗告期間を遵守できなかったのは原告自身の責に帰すべきものである。
三 医務部での診察待ちについて
1 平成元年七月四日、同所医務部長宛に原告から「動物性タンパク質アレルギーのためジンマシンが出ている。」旨の「診察について申請願」と題する願箋が提出された。
翌五日、右願箋を受けた同部長は原告の診察の必要性を認めたが、原告が処遇上厳正独居拘禁者であり、他の収容者との接触を防ぐため単独連行することとしていたことから、連行後直ちに診察するとともに工場出役者との接触を避けられるよう、実際に診察のため連行されたのは工場就業者の診察が終了する同日午後一時三〇分ころであった。
ところが、同日午後一時三五分ころ、原告が医務部診察室に到着する直前、同部長の部下職員であるレントゲン技師が用務のため同部長室に報告に訪れたため、午後二時一〇分ころまで同技師の報告を受け、その後に原告の診察を開始することになった。しかし、原告を医務部診察室前廊下の椅子に座らせて待たせた時間は、約三五分間であり、この間、医務部看守部長が原告に「部長に急に来客があったため少し待つよう。」二度告げている。
2 右のように、原告の申し出た疾病はじんましんであり緊急に診察しなければならないものとは認められなかったため、医務部長は部下職員の報告を優先させたものであり、また原告を待たせたのは約三五分間であって社会通念上医師の診察を待つ時間の許容限度内のものであるから、医務部長の措置に何ら違法、不当はなく、これにより原告が精神的苦痛を受けたとの主張は失当である。
なお、昭和六一年八月一八日及び同年九月一六日に原告の血液検査を実施した結果からもアレルギー体質は認められておらず、本件における医務部長の診察からも当時原告には点在性の湿疹は認められたものの、アレルギー体質によるじんましんは認められていない。
第三 証拠<省略>
理由
一作業賞与金による特別購入の許可について
1 請求原因一及び二の事実は当事者間に争いがない。
2 <証拠>によると、府中刑務所においては、監獄法施行規則の規定に基づき就業者に対し毎月一五日までに前月分の作業賞与金計算高を告知しているが、事務処理の過誤を防止する必要上、原則として、前月分の作業賞与金計算高を作業賞与金計算高基帳に記帳した後でなければその使用を許可しないこととしており、収容人員が多数のため通常その記帳を完了するまでに一〇日前後の日数を要していること、もっとも、特別の事情があって所長が相当の理由があると判断した場合には、記帳前であっても前月分の作業賞与金の使用を許すことがあること、昭和六三年七月一六日、原告から作業賞与金による罫紙等の特別購入の願い出があったため、西部区長として受刑者の処遇の統轄責任者の立場にある松下は、原告の領置金と作業賞与金がいくらあるのか、その時点で原告が物品を実際に必要としているのかについて調査したところ、領置金は四十数円であり、作業賞与金は会計課の基帳には残高二七円と記帳されており、また担当職員が保管している原告の物品は、七月一六日の時点で郵券一一七〇円分、カーボン紙四枚、罫紙五七枚、ボールペン二本、ボールペンの黒替え芯三本、赤替え芯一本であることを確認したこと、そこで、同人は原告に、金額が不足していて購入できない旨及び賞与金は基帳に記載してなければ使用できず特別の必要があるときにのみ許可になるから、特別に必要があればその理由を言うようにと告げたところ、原告は願箋で出すと答え、その後何も申し出なかったこと、原告は右保管されていた罫紙その他の用具を用いて即時抗告状を書いたこと、以上の事実が認められる。
原告は、松下が特別購入を認めないと言ったと主張するが、右主張に符合する原告本人尋問の結果は証人松下安廣の証言に照らしにわかに信用することができず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。そのほか原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用することができない。
3 右事実に基づいて考えると、原告は七月一五日に六月分の作業賞与金が二七一〇円あることを告げられたが、作業賞与金による特別購入を願い出た七月一六日の時点では、その記帳が済んでおらず基帳には残高二七円との記載があったのみであり、また領置金は四十数円しかなくて願い出た罫紙等を全部購入するには足りなかったことが明らかであって、府中刑務所において収容人員の関係で作業賞与金の記帳に日数を要し、また事務処理上の過誤を防ぐため前月分の記帳がされた後に作業賞与金の使用を認めるという取扱いをしていることは、やむを得ないことというべきであるから、松下が原告に金額が不足していて購入できないと告げたことに特段問題はない。しかも、松下は原告に、賞与金は基帳に記載されていなければ使用できず特別の必要があるときにのみ許可になる旨を説明したうえ、特別に必要があればその理由を言うようにと告げたのであり、これは同刑務所における取扱いに沿ったものであるところ、これに対し、原告は願箋で出すと答え、その後何も申し出なかったのであって、そのために原告は願い出た物品を購入することができなかったとみられるのである。なお、原告の所持する相当数量の郵券、罫紙等が保管されていて、これらを用いて原告が即時抗告状を書いたことは、右にみたとおりである。そうすると、原告が松下ひいては西尾所長の行為によってその権利を害されたということはできない。したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。
二即時抗告状の発信について
1 原告が昭和六三年七月一六日夕刻及び同月一八日に即時抗告状の発信を出願したこと、松下が原告を西部区事務所に呼び出し、水戸拘置支所長宛の伝言申立の宛先について説明を求めたこと、即時抗告が却下になったことは、当事者間に争いがない。
2 <証拠>によると、原告は昭和六三年七月一六日即時抗告状の発信の出願をしたが、月曜日にしてくれと言われて、七月一八日午前九時ころ、「発信について」と題する願箋(乙第一六号証)により即時抗告状の発信の出願をしたこと、右願箋には「迅速に東京高裁に発信下さい」と記載されていたが、松下が検閲したところ、当該抗告状に水戸拘置支所長宛の「伝言申立」と題する書面(以下「伝言申立書」という。)が同封されていたこと、ところが、即時抗告状には伝言申立書を同封するとは書かれてなく、また、即時抗告状の発信願いの願箋と共に「当然、水戸に発信されて始て証文となるものであるから……発信を前提として申立てる」旨を記載した別の「発信について」と題する願箋(乙第八号証)が提出されていたこと、そのため松下は伝言申立書は誤って同封されたものではないかと考え、同日午後二時五〇分ころ原告を事務室に呼び出し、伝言申立書につき、水戸拘置支所長宛だが間違って同封したのではないかと尋ねたところ、原告はそれには応えず、「願箋で出します。」と言ったこと、しかし願箋の提出がなかったため、松下は翌一九日午前八時二〇分ころ原告に願箋提出のことを尋ねたところ、原告から「証文としてその事実立証のためである」旨を記載した「証拠文書提出について」と題する願箋が提出されたこと、そこで松下は、伝言申立書は抗告状に同封されるものであることが確認できたものとして発信の手続を取り、同日午後零時三〇分ころ即時抗告状と伝言申立書を同封して刑務所表門前のポストに投函したこと、右即時抗告状は七月二一日に東京高等裁判所に届いたこと、原告は抗告期間を七月二一日までであると考えていたが、実際は七月二〇日までであったこと、以上の事実が認められる。原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は採用することができない。
3 即時抗告は抗告期間につき一週間の不変期間の定めがあるのであるから、刑務所に受刑者として収容されている者から即時抗告状の発信の願い出があった場合、担当係官としては、期間の制限のない一般の文書の発信の願い出のあった場合とは異なる適宜の措置を取る等特段の配慮をすることが要請されるというべきである。
しかし、右認定事実によると、本件においては、裁判所に提出すべき即時抗告状に拘置支所長宛の「伝言申立」と題する文書が同封され、また別の願箋には、誤って同封されたのではないかと疑わせる前記のような記載があったため、即時抗告状の発信願いが出された日の午後二時五〇分ころには松下から原告にその点をただしたところ、原告が願箋で出すと言い、しかもそれが出されたのは、翌日、松下から改めてその点を尋ねられてからのことであり、その結果発信の措置が取られて同日の午後零時三〇分ころには刑務所前のポストに投函されたのである。
刑務所長は在監者の発信文書につき検閲の権限を有するのであるから(監獄法五〇条、同法施行規則一三〇条)、右のような事実関係の下では、即時抗告条発信の願箋に「迅速に東京高裁に発信下さい」と記載されていたことを考慮しても、即時抗告状の発信が同年七月一九日の午後零時三〇分ころになったのはやむを得ないことというべきである。一方、原告は抗告期間を七月二一日までであると考えていて、一日余分にあると誤信していたという落ち度があり、そのために発信の願い出及び伝言申立書の同封の件についての対応が遅れたとみられるのであって、前認定の事実関係を総合すると、松下ひいては西尾所長の措置が違法であったということはできない。したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。
三医務部での診察待ちについて
1 平成元年七月五日府中刑務所医務部長若林近生が原告の診察を実施するについて原告を医務部診療室の前で待たせたこと、及び原告にじんましんが出ていないと告知したことは、当事者間に争いがない。
2 <証拠>によると、平成元年七月四日、原告から医務部長宛に、ここ二、三日肉(動物性タンパク質)が多く他に副菜がないため吹出物ができ赤斑点が消えない等の申し出を記載した「診察について申請願」と題する願箋が提出されたこと、翌七月五日、同部長は診察のため原告を午後一時三〇分ころ医務部に連行させたが、同日午後一時三五分ころ、原告が医務部診察室に到着する直前、同部長の部下職員であるレントゲン技師が訪れ、同技師自らの病気のため入院する病院の紹介を依頼して来たため、入院手続の照会等のため電話をするなどして約三五分間原告を診察室前廊下の椅子に座らせて待たせ、午後二時一〇分ころ原告の診察を開始したこと、もっとも、その間、医務部看守部長から原告に対し二回にわたり、部長が接客中であるのでしばらく待つようにと告げたこと、原告は入所以来畜肉蛋白に対するアレルギーがあると主張していたが、従前行った検査の結果ではその事実は認められず、右医務部長の診察においても、原告の胸部及び背中に点在性の湿疹は出現していたが畜肉蛋白に対するアレルギーによるじんましんであるとは認められなかったこと、以上の事実が認められる。原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用することができない。
3 右事実に基づいて考えると、原告の訴えた症状はじんましんであるというのであるから、治療のため緊急の措置を必要とするものではないし、若林医務部長が原告を待たせたことについては、医師の診察を受けるため三〇分余待つことは通常あり得ることであるから、何らかの限度を越えたものということはできず、また前記のような事情があったことからすると、同医務部長の行為が、原告が受刑者であることを理由にことさら権力をもっていやがらせをしたということはできない。また、診察の結果、畜肉蛋白に対するアレルギーによるじんましんであるとは認められなかったというのであるから、同医務部長が原告にじんましんではないと告げたのは当然のことである。したがって、若林医務部長ひいては西尾所長の措置に違法があったということはできない。そうすると、この点に関する原告の主張は理由がない。
四以上のとおりであって、府中刑務所における管理部保安課長補佐松下安廣及び医務部長若林近生ないし所長西尾融の行為につき原告主張の違法の点を認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官新村正人)